ある晴れた日に -2011年4月宮城- (1)

 ずっと表だって書いてこなかったことを書いてみようと思ったのは、ほぼ日刊イトイ新聞「書きかけてやめた福島のことを、もう一度」という記事を読んだからだ。ここで永田さんは「“書かない方がいい理由”が山ほどあるから書いたほうがいい」とおっしゃっている。私がこれをどうして書かなかったのかといえば、なんとなく整理がついていなかったのと、勇気がなかっただけだと思う。私は昨年の4月に宮城を訪問している。その直後にゆるい報告をFBで友人向けに書いたけれど、それも終わりまで書けなかった。Twitterでも黙っていたし、会った人にはいっぱい話をしたけれど、文章にはしてこなかった。私には“書かない方がいい理由”はそれほどない。ただぼんやりと書くのが難しいな、と思っていただけで、そのまま書く機会がなかった。そしてうまく整理がつけられていなかった。

 そんな中、ついこのあいだ仙台に遊びに行く機会があった。目的は全然違ったけれど、同行した友人たちの厚意もあって、1年と少し前に見た同じ場所に行くことができた。こうなってくると“書かない方がいい理由”はあんまりない。あとは私の気持ちの中に“書かない方がいい理由”があるだけで、むしろ整理するためにも書いた方がいい。

 昨年の3月11日のことをみんな覚えているだろうか。忘れている人はあまりいないと思うけれど、あの瞬間、わたしは新宿の高層ビルにいた。35階。そのビルは新宿の高層ビル群の中でも1970年代に建てられた少し古いビルで、かなり揺れた。震災から少しあとに、隣のビルから自分がいるビルが揺れるところを撮影した動画を見て具合が悪くなるほどだった。当然エレベーターは止まり、階段で地上に降りて、新宿から池袋まで歩いて帰った。

 池袋の自宅はたいして変わったところはなく、何冊かの本が落下していたこと以外はいつもどおりだった。ただしパソコンとTVの中を除いては。(続く)