2013年3月11日14時46分から約30分。殴り書きのような気持ちのメモ。

 どうしてこんなことになっているのかさっぱりわからないが、震災関連のなにかは涙腺スイッチが自動的に入ってしまう。もう2年経っているのに。あまりに脳の具合がよろしくなくなってしまうので、震災関連のTV番組は避けている。

 ついさっき黙祷、と思った瞬間涙が出てきて、黙祷にならなかった。

 昨年、12月に津波警報が出たときも泣いていたが、自分でこれがなんなのかよくわからない。

 震災直後、会った人たちに「だいぶ精神的に参ってるみたいだけど大丈夫?」なんてよく言われていて、いやいや大丈夫っすよって答えてたんだけど、あの1週間で私は体重が3kg減って、ふだんはあまり遅れることのない生理が半月以上遅れ、今思えば相当精神的に参っていたのだろうし、今でもこういうスイッチが入ってしまうということは相当ななにか、が心の中に発生しているのだとは思うのだけれど。

 揺れた瞬間のことはもはや思い出さないようにしていて、そのあとのこともあまり思い出さないようにしていて、一方で震災から3ヶ月以内に現地にも入って、気持ち的には現地を訪れることで少し落ち着いたのだけれど、それでもどうしてこんなにしんどいのかよくわからない。被災地の人たちのことを思えば、なんでおまえ泣いてんだ、みたいな気持ちにもなるし、特別なにか被害を受けたわけでもないのに。私がただ単純になにか傷を負ってしまったということなんだけど、本当によくわからない。

「僕たちは元気で、そして自由だ。 困っている友だちを助けるのはあたりまえだよね」というキングダムハーツの言葉が大好きで、今でもそう思うし、あれからエンタテイメントの力についてもいろいろ考えた。

 希望を、光を、笑顔をとそう心から思う。

 午前中更新したblogでは「祈るだけでは届かない思いを伝える努力を忘れないように」と書いた。

 祈るだけでは伝わらない思いを伝えなければ。私は元気で自由なのだから。